こんにちは、MAYUKOです。
前回の投稿で現在の状況を簡単書きましたが、今回は現在に至るまでの経緯を話していきたいと思います。
ウイルスの影響で、急にロックダウンされた3月
少し前の話に戻りますが、カリフォルニアではコロナウイルスの影響は、 2月末の時点でほとんど感じられませんでした。
2月末に保育園のお母さんたちが開催してくれた私の送別会では、「インフルエンザの方が怖いよね!」という話が出ていたほど。日常生活には全く影響が出ていませんでした。
その状況が一変したのが3月11日夜。
この日の夜にトランプ大統領が何か警告のようなものをしたようで、その後すぐに保育園から「翌12日のフィールドトリップを中止にすること」「Spring Breakの開始を1週間早め、13日がスクール最終日となること」という内容のメールが届きました。
翌日12日にお礼のお花を買いにトレジョへ行くと、信じられないくらいの激混み!!!!!買占めが始まりました。
※パスタが空っぽ。他にもハンドソープ、ハンドサニタイザー、缶詰等は空っぽでした。
※急に手袋をしだした人も。前日まではこんな姿は1人も見られませんでした。
※長蛇の列。トータル40~50人くらい並んでいたと思います。買う量も多いため、すごく待ちました。
迎えたスクール最終日。
娘のクラスは20人中4人の出席、息子の学年は80人中20人程度の出席。生徒の多くが登園を自粛しました。この状況を受け、この週末15日(日)に予定していた娘の誕生日会も中止にし、私はその色々なキャンセルの対応をしました。
※スクール最終日。結局4人しか来れませんでしたが、大好きなお友達と先生がいたので本人は嬉しそうでした。
そして3月19日に街がロックダウンされました。
※いつもはたくさんん人が歩き、パフォーマーで賑わうサンタモニカの観光名所、サードプロムナード。椅子も片付けられ、全く人気がありませんでした。サンタモニカピアも閉鎖。
※公園の遊具はテープが貼られ、遊べないようになっていました。その後芝生エリアも一時禁止になったのですが、今は芝生エリアは解禁したようです(2020.5.23現在)
ロックダウンにより何もできない&引越しの準備に不安が増してきたため、飛行機を数日早め、引越しの準備を進めていました。
すると22日の朝に入ってきた「日本の入国規制」というニュース!
この時点では、入国者を全員ホテル等で2週間隔離するというような話も出ており、子供達のことを考えるとあまりに難しいので、フライトをさらに早めることにしました。
そのため引越し準備もさらに巻き巻きのスケジュール!
ドネーションを考えていたお店が次々に閉店してしまったので、自分たちで家具を解体して廃棄したり、最寄りの配送集荷センターがしまったため、中央センターまで往復1時間半かけて荷物を送りに行ったりと、刻一刻と変わっていく状況に振り回されながら、対応していた約2週間でした。
※最後の日の昼、何もない部屋で、いつもはしない「布団の上でアイス」を実現しました。
そしてこの1ヶ月は、とても辛い1ヶ月でした。
初めてのフィールドトリップが中止、スクールがクローズ、娘の誕生日会の中止、大好きな野球のキャンセル、友人宛に子供達が頑張って書いたメッセージカードも手渡せず…
※娘も息子も全員分頑張って書いてくれました。みんなでラッピング中!
帰る直前まで、できる限りみんなと過ごそうと思っていたことが悉く中止になり、涙した日もあります。
卒業式など大きなイベントが中止になってしまった人も多くいたと思いますが、私にとっても帰国前に、子供達が大好きな友達たちと過ごせる限られた時間が唐突に終わってしまう、悲しい1ヶ月でした。
※友人と最後に一緒に行った海。水面の反射がとても綺麗でした。
話は変わりますが、2回目にニュースを踏まえて航空券を変更するとき、ニュースが流れてから6,7時間後にはすでに航空券が1人20万円という金額に急値上がりしていました。
買占めも含めてですが、情報の持つ力の強さを感じた一瞬でした。
迎えたフライト当日
なんとか荷物を送り終え、部屋の片付けをし、空港へ向かう支度が整いました。
3月上旬に日本からアメリカへ友人が来た際は飛行機はガラガラだったと聞きましたが、今回は前述のニュースのせいもあってかフライトは満席。空港も混んでおり、緊張感のあるフライトでした。
夜中の1時のフライトのため、子供達は途中で爆睡。荷物を運びながら、眠ってしまた子供達を抱え、セキュリティーで荷物の出し入れをし、子供達を起こし、、、など、今思い出しても過酷(笑)でした。
※リュックを背負いながら、眠る娘を一時間抱っこしていました。
フライト中は、2人とも寝たりテレビを見るなどして穏やかに過ごすことができ、安心しました。
東京の自宅に無事到着
無事日本に帰国し、自宅に着いてからはヘルプに来てくれた義母の助けを受けながら、自主隔離生活を送りました。
アメリカを出るときももちろん誰にも会っていませんが、もちろん日本に帰国してからも誰にも会いません。帰って来ても全く実感がなく、子供達は英語を喋り続け、「今私はどこにいるのだろう?」という感覚でした。
約20カ国ほど旅して来た私ですが、着陸して、自宅に到着して、こんなにホッとしたフライトは今までに経験したことがありません。
「家に着くまでが遠足」
という一言が頭をよぎったほど。本当に無事帰国できてよかったです。